1953年頃、東京都国立市のぶどう育種家、沢登晴雄氏が、当時、巨峰(4倍体)は花が咲いても実がつきにくい品種で栽培しにくいために、この欠点を解決しようと、巨鯨(4倍体で実がつきやすく栽培しやすい反面、青いぶどうで美味しくない晩生種)を巨峰に交配しました。
その中の1本が、色が赤く、巨峰のような大き粒で上品な香りと甘味をもったぶどうが生まれました。
そのことが、果実日本(果物栽培者の団体、日園連の月刊誌)の読者の便りに1959年頃、投稿されました。この記事を見てぜひ試作したいと、1962年に国立まで尋ねて苗木の分譲を受けました。
1963年、ビールの原料であるホップ畑の跡地に、巨峰と巨鯨の交配品種(当時は名前はついていませんでした)、巨峰、マスカットなどを30品種ほど植えました。
翌年、初成りしました。巨峰のように大きな粒、上品な香り、甘味、この様なぶどうが、この世にあるかと大きな衝撃を受けました。このことを沢登様に報告すると、ぶどう仲間と見学に来られました。
色、房、甘味等、素晴らしいものでした。その中に新潟県長岡市の大久保様も見えました。