上原邦吉のオリンピア
幻のブドウ オリンピア
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オリンピア物語

エピソード2

エピソード2

1964年9月、日本ぶどう品種愛好会に入会。夏期研修会が山梨県で開催され、勝沼町の土屋長男園のネオマスカットのX形整枝の見事な木に感銘と受ける。木の広がりが30坪位あり、こんな大きな広がりは長野では今までに見たことがありませんでした。

牧丘町では沢登芳、石田光福園では、巨峰、巨峰×巨鯨=(オリンピア)、セイベル(9110)、ポートランド、セネカ、その他10品種位。まだ、木は4年生くらいで、オリンピアは房が小さく、まばらで、薄い赤色でしたが、全体に着色していませんでした。また、実の割れた粒が見うけられました。今の巨峰園の状態とは大変違います。

1965年1月、山梨県、勝沼町で冬期研修会が開かれる。全国から栽培者と研究者が集まる。中野市からは、田中君、佐藤君と3人で出席、小生達は一番若い参加でした。

農耕と園芸(月刊誌)の編集長、矢富良宗先生から提案があり、巨峰×巨鯨がオリンピックに燃える永遠の人類の夢たくましくした、あの紅い炎の色と、その若さと情熱を表した品種として、あらゆるぶどうの中で最も美味しく日本民族の誇りであるから、また、オリンピック開催の年でもありオリンピアが良いのではないかと提案があり、満場一致でオリンピアに決まりました。


(エピソード -- 東京サミットで供されたオリンピア -- )

1979年6月28日〜29日に開かれた東京サミットの晩餐会のデザートとして、当初は桃が予定されていました。しかし、美味しいものが見つからなかったため、その代わりのデザートとしてオリンピアが採用されました。供されたオリンピアは小皿に3粒程を盛りつけて食べていただきました。外国の方々のお口にあうかどうか心配していましたが残すことなく食べていただきました。

当時の外国の出席者は以下の方々です。
米国 カーター大統領 ロザリン婦人、英国 サッチャー首相
西ドイツ シュミット首相、イタリア アンドレオッチ首相
フランス ジスカールデスタン大統領、カナダ クラーク首相
ジュンキンズ欧州共同体委員長

このような経緯から、オリンピアは当時「サミット葡萄(ブドウ)」とも言われました。


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幻のブドウ オリンピアの上原果樹園 上原邦吉&安藤梨影 長野県中野市深沢23 TEL 0269-22-5236
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